アニメ砂場論についての整理


ストレンジャーさんが
「「砂場」なんかいらない - いつだって"本気"じゃないと気が済まない君へ」
http://d.hatena.ne.jp/tunderealrovski/20130425


という記事を書いていた。
その引用元が、たまごまごさんの
「「砂場」としてのアニメがある、日々の楽しみ。」
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20130423/1366738022


さらにその引用元が
革命機ヴァルヴレイヴ」プロデューサーが語る作品誕生・企画の秘密 池谷浩臣(サンライズ)×丸山博雄(MBS
http://animeanime.jp/article/2013/04/11/13652_2.html


さて、この元の元の
>アニメが好きだったり、メカが好きで見てくれる方々やスタッフ含めてみんなが、
>毎週遊べる砂場みたいなものになれたら幸いですね。


この表現が話題になっているようだ。


この「砂場」という表現、色々と元ネタがあるのだろうが、
その中でもおそらく大きな影響力があるのが、
庵野秀明アニメスタイル第1号の「庵野秀明のスタイル」
の中の発言だろう。

庵野 ロボットアニメの流れみたいな、それを一通り検証してですね。
   で、その後に、その時に、その時の主流だった『セーラームーン』を
   検証してみた。で、『セーラームーン』で分かったのは
   「緩い世界観というのがいい。要は遊び場を提供すれば良いんだ
   という事だったんです。
   個性的な、分かりやすいキャラクター配置と、遊べる場所。
   だから、何体かの人形と砂場が用意されていて
   ファンがその砂場で自分達で遊ぶ事ができるというのが、
   『セーラー』人気の秘訣だと思った。だから、わざと緩く作る。
   ガチガチに作っちゃうと、余裕が無くなるんだよね。
   最近のサンライズのアニメとか、そうだと思うんですよ。


この中での「最近のサンライズ」は「0083」などに代表される、
サンライズ2スタ、後のBONESのことを言っていると見ていいでしょう。
庵野さんは0083を当時ボロクソに言っていた)


さて、砂場とアニメファン、そしてサンライズとジャストに3つキーワードが揃ってます。


そしてヴァルヴレイヴの脚本家は
セーラームーンの幾原さんの弟子筋の大河内一楼さん。


話としては一貫性がある。



「砂場と人形」という形として近年成功したものとしては、
けいおん!」があると思っている。
緩い世界観。
分かりやすい配置のキャラクターたち。
砂場はインターネット。
そして人形のようなキャラクターたちをファンが可愛がる。
アイドルマスター」も同じ路線だろう。

もう話す「仲間」がいるから、そこで会話の題材となる作品を、逆に「場」にしているんですよ、ぼくが。


「題材があるから場を求めている」んじゃなくて、「自分のいる地点で、砂場となる題材を求めている」にひっくり返っていることが稀にある。


これ自体が、意外にも楽しいじゃないかと。

http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20130423/1366738022


庵野さんが20年前に見出した理論はいまだに健在というわけだ。
(そういう意味では佐藤順一さんが、「けいおん」に反応するのは
歴史的に正しいとも言える。)


もちろん、それを嫌う者もいる。


それは、キャラクターは人間だと思い、
世界はそのアニメの世界こそが真実だと思うものにとっては、
まさに「偽者」でしかない。

沢山の人が力を合わせて作って、時間とお金を掛けて、
その結果が「砂場」って勿体なくないですか? っていう。
そこは、遊びなんかいらないんじゃないか、シッカリと作りこむべきなんじゃないか。

http://d.hatena.ne.jp/tunderealrovski/20130425

以下私見
かつて、出崎統さんは
「アニメは俺と視聴者とのパーソナルな対話なんだ」と言っていました。
私は今でもそういうアニメが好きです。


でも、そういうアニメばかりではない。
アニメ自体では楽しめない凡百のアニメが山ほどある。
でも、その山を越えていかなければ自分にとって
「パーソナルな対話」と言えるほどのアニメには会えない。


だからアニメオタクは「食えない魚を食えるようにする調理法」のように
楽しめないアニメを楽しむ方法を考案した。
それが、「二次創作」であり「ネットでの共有」だ。


しかし、食えない魚を調理法で乗り越えると、
普通の魚を食べるよりもおいしい時もあった。
それはあたかも、河豚のようなもの。
毒はあるが、それを調理法で回避できれば極上の味。


だから単純に最初から「食える魚を用意しろ」と言いにくくなった。
料理人が自ら「これは毒のある食えない魚です」と言うようになった。




そうそう、そういえば富野監督と河森監督の逸話でこういうのもあったっけ。
河森さんのwikipeから

オリジナリティに対する感性は富野由悠季の影響も大きいようである。
ある時富野が講演で「昔職人を育てるには何時も本物だけを見せるようにしていた。
そうすると特に何を教えなくても、本物と偽物の区別が自然とできるようになる。
今のTVアニメは全て偽物なのだから、アニメを作りたい人間はアニメを見てはいけない
と語っていたのを聞き、実際に三年間アニメを見るのをやめてみた。
そして改めてアニメを見てみると、それが全く面白くないばかりか、
いったい何をやりたいのかすら分からなかったという。
この経験から、河森は万人に対して真に訴える力を持った作品作りを
深く考えるようになったと語っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%A3%AE%E6%AD%A3%E6%B2%BB


アニメオタクの「偽物を楽しむ能力」はそれはそれで生きていく上で重要な能力だ。
しかし、この能力は諸刃の剣。
偽物と本物の区別が出来なくなっているかもしれない。


砂場を否定し、河森監督のように、アニメ断ちをするのも、
一つの手かもしれない。
その後に見てもなお面白いものこそ、
本物なのだろうと、思う。
そして、これからアニメオタクになろうとする人には
是非、本物を多く見て欲しいと思う。