インターフェイスとしての


美少女ゲームには詳しくないので、
鍵のゲームなどの「もうひとつの世界」って結局は
キャラの心象風景なんでしょ、という感じ。
京アニはキャラの心象を
>口元、指先、髪の毛、瞳の深さなど
で表現していた、と。


まあ上述の通り、黒瀬からすると
ノベルゲームには「レイアウトを使った演出」も「カメラレンズ」もないので、
身体の末端の動きでのキャラの心象表現に注目するしかないのだろう。
さすがにヤマカンが可哀想になってくる。


なるほど、ゲーム業界の人がスクールデイズのレイアウトを使った演出に否定的なわけだ。
そういうものは美少女ゲーム界にはないんだもんな。


・最後に
「背景」と「人物」の分断は美少女ゲーム特有ではなく、
むしろアニメが長らく抱える問題点の一つです。


例えば保守派アニオタのミネラルさんの
「アナログぼけとデジタルぼけ」
http://mineralharvest.blog96.fc2.com/blog-entry-138.html
http://mineralharvest.blog96.fc2.com/blog-entry-139.html
http://mineralharvest.blog96.fc2.com/blog-entry-139.html


ここらへんの話は面白い。


「デジタルぼけ」の気持ち悪さはそこまで分からないが


>アニメは背景は水彩の絵、動くキャラクターはセル画という違いがもともと存在し、
>最初から浮かび上がりやすいものになっています。
>だから、わざわざ浮かび上がらせる工夫をしなくても十分なのです。
>なんでもかんでもぼかすのではなく、必要なところだけに、積極的な演出の意味があるところだけに、
>こうした効果を使ってもらいたいと思います。


という意見は黒瀬の『「背景」と「人物」の分離を活かした演出』と合わせると興味深い。


つまり、京アニがデジタルぼけを多用することは
「背景」と「人物」の分離という「美少女ゲーム」の特性を表現してるわけだが、
そんなことしなくても、元々アニメも背景とキャラは分離してるのだ。