キルミーベイベーの魅力に迫る〜イメージBG〜


今期俺が一番気になっているアニメは「キルミーベイベー」一択と言っても過言ではない。
このアニメが間違いなく俺を一番引き込んでいる。
そこでこのアニメの特徴をみていこう。


このアニメでもっとも際立っているのは
「イメージBG」の使い方だ。


イメージBGとは
「作品の舞台とは関係なく、イメージだけで描かれる背景のこと。」(テレコムアニメーションの用語辞典より)
具体的には例えば

こういうのですね。


昨今のアニメは宮崎駿を筆頭に「レイアウト主義」として、
背景のリアルさと演出意図の両立を目指している作品が多い中、
ある種「反則」ともいえるイメージBGの多用は珍しい。


例えば、ハイテンションギャグアニメとして名をなしている
「ミルキィーホームズ」も、意外にも背景はしっかりしたものになっている。
キルミーベイベー」との引き合い出されやすい
らきすた」や「日常」もそうだ。
特に「らきすた」の1話などは、教室のレイアウトをがんばっている一方で
イメージBGにはあまり工夫がないのが、見てとれる。



キルミーベイベーはこれらの作品とは明らかに違い、
イメージBGを多用し、かつ、その表現を自由に行っているのが特徴だ。


一般的なイメージBGとしては例えば、過去のアーカイブから転載すると

こういうのがある。
これは、「イメージBG」の名手であるマジックバスの四分一節子さんの演出で、
少女マンガ的な効果を狙ったものとして見事であった。

一方でキルミーベイベーはもっと
「イメージBG」で意味を強調してくる。
上記の藁人形のカット以外にも






これなんかは、2カットで3枚のイメージBGを連続で使っている。


イメージBGの演出効果としては、
「実際の背景に囚われずに演出できる」という点だ。


大地丙太郎監督は「リアルさ」に囚われないところが「ナベシン演出の真骨頂」と表現していた。
ナベシン、その影響を受けた大地監督、その盟友の桜井弘明監督などが
得意とするこの演出だが、
実は00年代ではあまり日の目を見ることはなかった。
前述のとおり、アニメの流行は「レイアウト主義」「リアリティ」であり、
抵抗勢力として新房監督率いるシャフトがいるのみであった。


しかし、この「イメージBG」という昔ながらの演出手法は
リアリティに囚われずに表現を出来るという意味で単純ながらその威力は絶大。
ある意味ではもっとも「アニメでしかできない手法」と言ってもいいだろう。
(昔の特撮とかではあったけど、今は実写ではとんと見ないし)


「現実に囚われない」というのは、このアニメのキーワードでもあり、
例えば、3話の

ここらへんのシーン。


こいつら、授業とか大丈夫なのか?
とかはまったく問題にならない。
らきすた」や「日常」があくまでも
「休み時間」、「授業中」とかいうことを強調した上で話を進めていたのに対して、
そういうことにまったく無頓着なのは
このアニメならではであり、このアニメの魅力そのものであろう。