出崎統をいまだに「止め絵」「三回PAN」「透過光」でしか語れない


そんな旧世代の天才無名演出家にあっても、
「画面」とか「テクスト」とか「再解釈」などの空虚な用語を駆使すれば
あたかも何か重厚な理論を持っているかのように
批評を出来るのであります。


まあ、出崎統について語るならまずその「構造」に注目すべき、
と言ったヤマカンの方がなんぼかマシと言えましょう。


彼らのような「意味」に価値を感じる類の人間でも、
アプローチが異なるのは面白い


まあ「アンチ段取り主義」的に言えば
意味があるのかないのかなんていう低レベルな批評はしたくないわけですよ。
視聴者やら批評家やらにカチンコが見える時点で本当は論外。
チンコじゃなくてカチンコね。