「このアニメはテンポが良い」←テンポってなんだよ

今期のアニメ「夢喰いメリー」「お兄ちゃん(ry」「ドラゴンクライシス」、
を見て、「今期のアニメのテーマは『テンポ』だな」と思っていたところ
最新号の近代麻雀の「ムダヅモ(ry」を読んで、
テンポということをちょっと考えてみた。
(最新号のムダヅモは必見。立ち読み中の爆笑・唖然に注意)


・「テンポが良い」って何よ?印象編
テンポが良いっていうのは何を意味しているのか。
印象・感想を羅列してみる。


1、テンポが「速い」
2、テンポが「視聴者にとってちょうど良い」
3、テンポが「作品にとってちょうど良い」


ざっと思いついたところを並べてみた。
1の「テンポが速い」は、
90年代〜00年代初期的な考え方だと思う。
つまりは、いわゆる「チャチャ三羽烏」の
大地丙太郎佐藤竜雄桜井弘明ら三氏による
アニメのテンポのつり上げから始まる話である。


彼が90年代に作ったアニメというのは、
誰が見ても他のアニメよりもテンポが「速い」。
その速さが心地よかった。
ある意味ではそれ以前の多くのアニメが「遅かった」のかもしないが。


このことについて、
佐藤竜雄監督が「劇場版機動戦艦ナデシコ」のパンフレットで
次のように述べている。

(前略)
―― どんな感じのアニメにしようと思ってらっしゃるんでしょうか?
佐藤 そうですね、「テンポ」と「引っかかり」という感じでしょうか。
―― どういう意味ですか?
佐藤 テンポよく流れていくけれども、そのわりには、頭にはわりと残っていって、
  それが伏線になっていくといいなあ、と思ってるんです。
  ほら、最近、テンポで見せていくアニメが多いじゃないですか。
  まあ、それをやり始めたのは、僕や大地(丙太郎)さんなんですけど
  このごろは、テンポが速ければいいやというので、いたずらに速くして、
  その分、作品の密度が流動的になっていく作品がポツポツ出てきたような気がするんです。
  それは違うだろう、と。


「テンポで見せていくアニメ」=テンポの良いアニメ
という認識の時代があり、
その後は佐藤竜雄が懸念した通り、
90年代末期から00年代前半に掛けて、
「テンポが速ければいいや」という作品が跋扈し、
00年代後半にはその反動としていわゆる「日常系」が台頭することとなる。


そこで、2、「テンポが視聴者にとってちょうど良い」と
3、「テンポが作品にとってちょうど良い」という二つの考え方が出てくる。


「視聴者にとってちょうど良い」というのは、
見ていて退屈でなく、かつ速すぎて分からないことにない、
ちょうど良いテンポ、ということ。


例えば「祝福のカンパネラ」は、「俺にとって」はちょうど良いテンポだった。
カンパネラは決してテンポの速いアニメはない。むしろ遅い部類に入るくらいだろう。
しかし、退屈になることもなかった。
テンポが良いと、見やすい。
同様に人によっては「けいおん!!」のテンポがちょうど良いという人もいるだろうし、
「ギャグ漫画日和」がちょうど良いという人もいるだろう。


この記事のタイトル元のスレから引用すると

「視聴者の情の線によりそってやればいいんです。落語だってそうでしょ?
若いときは面白いと思ったこと全部やりたくなっちゃうんですけど、それじゃ駄目なんです
受け手の呼吸に合わせて望まれているものを与えてやればいい」 
 
                                   ―富野の伊集院光との対談より

お前が言うな感の炸裂っぷりがヤバいですが、
まあ正論。
「受け手の呼吸に合ったアニメがテンポの良いアニメ」


一方、上記の富野御大も含めて、
特徴的な作品を作る演出家の作品に良くあるのが
「作品とマッチしたテンポ」だ。
「テンポ」も作品を構成する一要素ということを考えれば、
作品との関係こそが一番重要であるという見方も出来る。


例えば、「びんちょうタン」というアニメがある。
あれはテンポが速くもなければ、まったく退屈ではないわけでもない。
でも、「びんちょうタン」という作品を表現・演出するという意味では
あのテンポがベストではないかと思うし、
そここそが「びんちょうタン」の最大の見所なんじゃないかと思う。


逆にテンポの「速さ」が作品を構成という意味では「いちばんうしろの大魔王
なんかも、そうではないかと思う。


キングゲイナー」を「母をたずねて三千里」のテンポでやるとか
その逆とか、見てみたい気もするが、
多分、駄作になるんじゃないかと思う。


もちろん2と3は表裏一体。
完全に分かつことは出来ないが、
アプローチが逆であることが重要であるように思う.


とりあえず、今日はここまで