Angel Beats!のドナーカードに見る虚構について
エンジェルビーツはどの話数も力があるが、
その中でも、特に好きなのが9話のドナーカードのシーンだ。
死の間際にドナーカードを取り出して署名する音無を見て
次々と周りの人間もドナーカードを懐から取り出して署名していく。
このシーンについてどう考えるか。
まず、私たちは現実を知らなければならない。
つまり
(社団法人日本臓器移植ネットワークより)
さらに詳細な図だと
(内閣府より)
こういう現実だ。
内閣府のHPによるとこの意思表示カードには「裏面がドナーカードの保険証」も含まれている
(エンジェルビーツのドナーカードも基本的には保険証。)
これによると、ドナーカードの所持率は多くとも10%、
さらに「署名していないドナーカード」の所持率は5%以下だ。
さらにさらに、音無のもっている保険証だと
>「臓器提供意思表示欄のある医療保険の被保険者証を持っている」と答えた者の割合が1.7%
だそうだ。
上記のエンジェルビーツのシーンでは10人くらいいることを考えると、
単純所持率だけを単純に計算しても、全員がドナーカードを持っている確率は
約0.000000001%だ。
エヴァンゲリオンの起動確率が0.000000001%だから(ゼロが9つでオーナインシステム)
これよりもさらに困難な奇跡であることが分かるだろう。
これはまったく非現実的な虚構的なシーンなのだ。
この話数のコンテマンはご存知、あおきえい。
あおきえいはこのような「虚構」に出会った時にどうするかというと、
その虚構性を隠さず、「これは虚構なんです」という宣言を映像に盛り込む。
初期演出作品である「おねがいティーチャー」からAB直前の「バカテス」まで
様々な作品で虚構を誤魔化さずに虚構のまま描いてきた。
(参考:http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100128
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20091217
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20090223)
「虚構であることに気づく」これが第1ステップだ。
そしてこの虚構の宣言は同時に岸監督がABと同時期にやっていた「サンレッド」へと繋がる。
正義と悪として、ヒーローと怪人として、日夜戦いを繰り広げるサンレッドとフロシャイムだが、
その一方で戦いが終わればご近所さん。
引越しのときは手伝ってくれたりもする。
そう、サンレッドはヒーローモノの虚構性を「虚構である」と宣言することで、
「虚構」を「笑い」へと変換することに成功した作品なのだ。
サンレッドはあおきえいの古巣のAICの作品。
真面目なあおきえいのことだ、そこらへんは押さえた上で各話コンテと参加しているはず。
このドナーカードの虚構もそれと同じく、
「こんなことあるわけねーじゃんw」という笑いをもたらすのだ。
ドラえもんズの友情カードよろしくご丁寧にカードを取り出すさまは
町内会でゴミの出し方を指導する悪の組織幹部と同じく
なかなかにシュールで面白い。
余談だが、もし出崎統なら納得できずにここを改変していたのではないかと思う。
例えば、「俺はこれでいいや」とドナーカードではなくノートの切れ端に
意思表示を書くような描写を入れたかもしれない、と。
しかし、あおきえいはそれをせず虚構を宣言し、
そして笑いを誘う。
これで終わりではない。
次のステップがある。
それは「全員がドナーカードを持っている世界」とは何なのかということだ。
「シュールな笑い」という演出的なうまみを出した上で、
視聴者に考えさせることを選択したのだ。
これは「どういう虚構なのか」ということを。
・ここにいる人間が「たまたま」保険証ないしドナーカードを持っていて、
そういう人間の集まりだから助かったのだ。
・この世界は現代ではなく人間の倫理が進化しドナーカードが高度に普及した近未来である。
・あの世界はパラレルワールドで、あの世界では国民全員に保険証を常に携帯させること
管理している管理社会である。
性善的にも性悪的にも考えられる。
あるいは、例えばこういうのはどうだろうか?
●あの世界は「死んだ世界システム」があることで、
「生きている世界」においても死というものに対して敏感な人間が多い。
だから保険証を常に持ち歩いている。
設定を尊重した解釈だ。
はっきりとは描写はされていないが、
あの「死んだ世界システム」は「生きている世界」に影響を与えているはずで、
その結果ああいった虚構が存在するのではないか。
設定に対する表の読み。
逆に裏もある
●「死んだ世界」というのが「死後の世界」であること自体が偽りで、
「生前の記憶」というのも捏造されたもの。
つまり、「生きている世界」なんてものは存在せず、
記憶が捏造されていることを「虚構」という形で見せているのではないか。
死んだ世界が虚構の世界で生前の世界が現実、その概念自体がミスリード、一種のトリックなのかもしれない。
「胡蝶の夢」
「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」
押井・今敏・そしてボンズの劇場作品「天国への階段」「シャンバラ」「ストレンヂア」で
モチーフとしてよく使われる壮士の思想・乱歩の言葉そして、
アニメというものの性質。
虚構と現実の入り混じるところにこそ、アニメの本質がある。
あおきえいの提供してくれた
「虚構について考える機会」というのはすなわち、
アニメの本質に触れること機会、なのかもしれない