うつのみや理の脱力・無意識表現と「けいおん」


なんか思い浮かんだのでいつものように適当に書いてみる。


さて、うつのみや理の作画の何がエポックだったか
というのは作画オタクの中でも絞りきれてないところが、
個人的には
「脱力・無意識の動き」の表現を確立したところにある。


うつのみや理本人の言葉をここで引っ張っておこう

うつのみや
役者が「演技する」という場合を考えてほしいんですけど。役者の演技というのは、実際の人間の動きに比べて、どこか硬くなると思うんですよ。それはどうしてかと言うと、今、こうして、僕らが話している動きをアニメにするとしますよね、その時、僕らが行っているはずの無意識のアクションは削られてしまうと思うんです。僕らが普段生活している時に、意識しないでやっている動き。それが削られれば削られるほど、「演技する」という事に近づいていってしまう。今のアニメーションというのは、その無意識の動きを削りすぎているんです。だから、リアルじゃない。
その無意識の演技をやろう、というのが、今の、僕のテーマなんです。

http://style.fm/as/01_talk/utsunomiya02.shtml

例えば、何気なく歩いている時の腕の振りと
健康のためにウォーキングをしようと意識して歩いている時の腕の振りは
全然違うわけです。


あるいは、うつのみや理の作画を例に出せば、
走れメロス」の剣戟のシーン。
このシーンは片手剣でアクションしてるわけですが、
剣を持ってない方の手に注目してほしい。


剣で戦っているので意識は剣を持っている手に集中しているので、
剣を持ってない方の手というのは、無意識の動きをしているわけです。


で、このうつのみや理の表現というのは、
割りと普及していて、今ではそこまでビックリするほどのものでもなくなっている。
というか、もともと「無意識」の動きなんでそんなにハッキリと目立つものではない。


けいおん」はこの「無意識」の動きを徹底していたな、と思うわけです。
けいおん」なんてアニメを見て良かった点なんてほとんどないんですが、
作画的にこの部分には関心したのは確かです。
もう一度「けいおん」を全話見返すのはいやなので、
とりあえず、1話からこのカットだけ




上の絵は意識して手を振っているのに対して
下はその後、手から意識が抜けた、無意識を表現している。


けいおんはこういう「意識⇒無意識」みたいな流れの動きが非常に多い。
勿論、こういう表現はうつのみやショック以降ありふれていますが、
けいおん」ではあらゆるアクションでこれやっている印象があるくらい多用しているというのは
大きな特徴と言えるんじゃないかな


けいおん」の魅力というのは、つまるところは女の子の可愛さにあるわけで、
その可愛さの源泉にはこういった、「脱力・無意識」の表現があるんじゃないのかなぁ、
とか思ったわけです。
俺が「けいおん!!」の1話以外を見直すことはまずないと思うので、
気になった人は是非1話以外も見てみてください。